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おとしもの、ひろいもの。:Nさんのこと 吉田阿純

2018/02/06(火)
新しいコーナーとして吉田阿純(あすな)さんのコラム「おとしもの、ひろいもの。」が始まりました。瑞々しい感性で日常の一コマを掬い上げる吉田さんらしいタイトルで今後が楽しみです。皆様、応援のほどよろしくお願い致します。(編集部)
Nさんという知り合いがいる。昼間は駅の階段のひさしの下が、夜は最終バスが行った後のバス停のベンチが、Nさんの居場所だ。夏の暑い日も、吹雪の夜も、そこにいる。
いつからか、会うと挨拶するようになって、近くを通るときは自分の分のおむすびといっしょに作ったおむすびや、パン屋さんで少し余分に買ったパンを差し入れたりするようになった。
おそらくNさんは、それほど食べる物に困ってはいない。それでも、もし自分だったらきっと、どこかで何か人と関わっている感覚がほしい ―― ふとそんなことを思ってしまったものだから、もしかしたら迷惑かもしれないとか、これは好きだろうかとか、いつも行けるわけでもないのに失礼なんじゃないかとか、あれこれ迷いながら声をかける。すごく自分勝手だけれども…
 
Nさんは無口だ。会うとにこにこ笑ってくれるけれど、話しかけても大抵は、頷いたり、いいえというジェスチャーや、「はい」というみじかい返事が返って来るくらいだ。私もあまり気のきいたことが言えないものだから、今日は暑いですね、とか、体調は大丈夫ですか?とか、いつも同じようなことを話して、お互いにぴょこんとお辞儀をして別れる。
 
先日、久しぶりに近くに行く機会があり、ちょっとどきどきしながら途中のパン屋さんで、Nさんの分も買った。
夕方の、すっかり薄暗くなった駅のひさしの下、Nさんは全財産であるスーツケースのとなりに座っていた。
 
「こんばんは」と声をかけると、Nさんは立ちあがって笑顔でちょっとお辞儀をした。私もお辞儀をして「これ、よかったら…」とパンを渡した。それからいつものように「寒いのでお気をつけて」とかなんとかモゴモゴと言って立ち去ろうとしたとき、Nさんが、あっという顔をして言った。
 
「傘、持ってないんですか?」
 
そのいつになくはっきりとしたNさんの口調に驚いて、私は「はぁ…」と曖昧な返事をした。夕方仕事が終わって外に出たら雨がパラついており、傘を忘れた私のコートには、たしかに雨の水玉模様がたくさんついていた。
 
「ちょっと待っててください」
 
Nさんはさらにはっきりとそう言って、荷物の中からごそごそときれいなビニール傘を取り出すと、これまで見たことがないくらい明るい笑顔で「これ、どうぞ」と渡してくれた。
 
わずかなものだけで暮らしているNさんの傘を私が借りてしまうことに一瞬迷ったけれども、大切な傘を躊躇なく差し出してくださったNさんの気持ちと笑顔がすごく嬉しくて、ありがたく受け取ることにした。
「ありがとうございます。お借りします。」
傘をひらくと大きくて、持っていた荷物まですっぽりと隠れた。雨なのに、なんだか飛び跳ねたいような気分だった。
 
用事をすませると、あたりはもうすっかり暗くなっていた。行った先でもう一つ傘をお借りして、帰りにNさんの寝場所であるバス停に立ち寄った。
Nさんはもこもこに着ぶくれて、背中を丸めてベンチに座っていた。
「Nさん、傘、とても助かりました。ありがとうございます。」
声をかけるとNさんは顔を上げて、本当に嬉しそうにうなずいた。
何度も顔を合わせていたのに、あんなに嬉しそうなNさんを見たのは初めてだった。
 
帰りのバスの中で考えた。
「人との関わりが必要だ」なんて思っていたけれど、たぶん、もらうのと、あげるのと、両方あってはじめて、ようやく人は本当のつながりや親しみを感じることができるのではないだろうか。
だって、もらうのは嬉しいけれど、もらうばかりの関係は苦しいし、あげようとして断られたり、遠慮されてしまうのは寂しい。あげる相手がいないのは、きっともっと寂しい…
なにより、困っているときに差し出してくれる人のいるあたたかさ。
差し出したものを受け取ってくれる人のいる嬉しさ。
 
あげることと、もらうこと。どう考えてもバランスを欠いているように思えるこの世界で、その両方が上手にめぐる仕組みをつくることは、今地球にうごめく人間という生き物が避けて通れない責任なんじゃないだろうか。
それを引き受ける覚悟を決めたとき、人は孤独を抜けだすことができるのかもしれない。

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