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Tent of nationsの覚書(2017.3.28Tue)

2017/07/16(日)
エルサレムからベツレヘムに戻り、テント オブ ネイションズに行きました。

その道中、今回の旅で違和感を抱き続けた理由が分かったのです。
それは分離壁の色でした。
去年7月に来た時に目にした分離壁の色はねずみ色。コンクリートの打ちっぱなしでした。

もちろん今でも多くがねずみ色なんですが、この写真のような分離壁がところどころにあるのです。まるで高速道路のようです。実際多くの外国人たちはそのように思っているのではないかと思います。私も一瞬高速道路だと思いましたから。
人間の巧妙さを目の当たりしたのでした。

そしてチェックポイントを通る時、アースキャラバン2015のドキュメンタリー映画「BE FREE!」の中で言われていた言葉を思い出しました。「ものとして扱われているような気がした」

まさにその通り。そして自分が何か悪いことをした犯罪者のように思ってしまうのでした。
これを日常的に味わうってどんな気分だろうと考えた時、何とも言えなかったです。
このチェックポイントのところからタクシーに乗ってテントに向かいました。

国道からすぐに障害物が置いてあり、車が入ることはできません。
ほんの一年前までこんなことはありませんでした。
去年まで何もなかったところを掘り返し、ユダヤ教の学校を建設中だそうです。


ちょうど隣村の若者が通りかかり、テントのゲ―トまで一緒に行ってくれました。
この写真のショベルカーに乗っている人たちと彼は親しく挨拶しているのを見て、この若者は何人なんだ?と分からなくなったのです。
パレスチナ人なのかイスラエル人なのか。

話を聞いていくと彼はITを勉強するパレスチナ人の大学生でした。
そして工事をしている人たちもパレスチナ人でした。
自分たちの土地が奪われる工事をやっている自覚はあるのだろうか?
と一瞬批判的に思ってしまいました。

でも日本でも同じことが起きているのです。
原発を建設するゼネコン、薬を作り続ける製薬会社。数え出したらきりがありません。
そして私自身が学生時代にその仕事に就くことを夢見ていたのを思った時、言葉がなかったです。

この掘り起こされた道を通り抜けた後、去年も見た大きな石、岩を越えた時、見たのはゴミの山でした。
ゴミは増えていました。
テントに続く道を歩いている時、泣けました。
ただただ悲しかった。
感傷に浸っていると言われたらそれまでです。
でもただただ悲しかった。
人間であることが悲しかった。

その時後ろを振り返ると、切られても切られても植え続けられているオリーブの苗木がしっかり立っているのを見た時、「こら!しっかりしろ!」と言われているような気がしたのです。


 
やっとテントの玄関に着きました。

この前でカギを開けてもらうために電話を掛けましたが、繋がりません。
当局が固定電話に、イスラエルで買ったシムカードからは掛からないようにしてあったり、いろいろと操作されています。しょうがないので横の柵の隙間から入りました。
 
テントオブネイションズでは、水は雨水のみです。それを得られる時期は雨季に限られていますが、ボランティア含め皆の生活をまかなえるだけの水は得られるそうです。
問題は、二つ。使用後の水の再利用と水の水質検査。




まず使用後の水の再利用。
トイレはコンポストトイレを使用しているので、問題はないそうです。
生活用水を農業用水に再利用すること、そして可能であれば飲料水として再利用できれば、大変助かるということでした。
現在3つの浄化槽が整備されています。これらすべて世界中のボランティアの人たちと作ったそうです。

↓第一浄化槽
↓第二浄化槽
↓第三浄化槽
↓貯水槽
↓浄化槽と貯水槽の図
この貯水槽に溜まった水を浄水することに、何らかのお手伝いができたら良いのになぁと思っています。

そして次に水質検査
蛇口から飲料水として雨水が出ます。
火にかけて飲むようにしているが、自分たちが飲んでいる水がどのくらい安全であるかを簡単に、定期的に確認できるシステムがあれば安心できるのにと言われていました。

駆け足の訪問でした。もっと話したかったけれど、ここまで連れて来てくれたタクシーの運転手さんに、2時間以上待つことはできないからと何度もいわれていたから。
監視カメラで見られているから、彼が長時間いることは危険だそうです。

今回改めて来て思ったのは、
加害者・被害者の視点で物事を見ない。
困っている人がいる。
もしかしたらお手伝いできることがあるかもしれない。
そのお手伝いは相手の自立を阻むことなく、継続性があること。
そんな基本的なことを再確認したのでした。
何ができるか分かりません。
何もできないかもしれません。
でも気持ちは繋がっていたい。
そしてテントで始めたことが、パレスチナの困っている人たちのところに届くような何かでありたいと思ったのです。


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